日本人のルーツ・魂のルーツその1
- 2018年8月8日
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現代の世に於いて
日本人と称される人達の多くが忘れ去った
其の魂の奥底に眠らせている記憶。
幼い頃の心情として
別に大陸から日本へ渡って来た訳でも無いのに
帰りたいと思いを馳せた
夢の中でまで見ていた大地の記録が其処に在る。
春が来れば山の雪も溶け
朝靄が去った大地は緑一杯に輝き
空は北から南の山まで
何処までも晴れ渡り
鳥達はさえずり
動物達は川や湖の澄んだ水を戴く
民達は歌い踊り春の再来を祝う
カントリーロード テイクミーホーム~♪
帰りたい~でもその道は行けない~♪
今はもう其の景色も変わり果ててしまったから。
魏志夫餘伝(百衲本)(参考)
夫餘在長城之北去玄菟千里南與高句麗東與挹婁西與鮮卑接北有弱水方可二千里戸八萬其民土著有宮室倉庫牢獄多山陵廣澤於東夷之域最平敞土地宜五穀不生五果
「夫余は長城の北にある。玄菟郡を去ること千里。南は高句麗と、東は挹婁と、西は鮮卑と接する。北に弱水(松花江)がある。広さは二千里四方。戸数は八万。その人民は土着する。宮殿や倉庫、牢獄がある。山や丘、広い湿地が多く、東夷の地域では最も平らで広々している。土地は五穀(麻、黍、稷、麦、豆)に適しているが、五果(李、杏、棗、桃、栗)は生えない。」
其人麤大性彊勇謹厚不寇鈔國有君王皆以六畜名官有馬加牛加豬加狗加大使大使者使者邑落有豪民名下戸皆為奴僕諸加別主四出道大者數千家小者數百家
「その人々は大柄である。性格は、強く、勇敢で、つつしみ深く、略奪するようなことはしない。国には君王がいる。みな六畜を官名にし、馬加、牛加、豬加、狗加、大使、大使者、使者がある。集落には有力者がいて、下戸をみな奴僕と呼んでいる。諸加の貴族たちは別れて、四方向に出る道を統治する。大は数千戸、小は数百戸である。」
食飲皆用爼豆會同拝爵洗爵揖讓昇降
「飲食には、みな、まな板のような台と高坏を用いる。集会では(昔の中国のように)盃を受けたり、洗って返したり、両手を胸の前で組み合わせて会釈して段上に昇ったり降りたりする。」
以殷正月祭天國中大會連日飲食歌舞名曰迎鼓於是時斷刑獄解囚徒
「殷の(暦の)正月に天を祭り、国中で大集会があり、連日、飲み食いし、歌い舞う。これを迎鼓(ゲイコ)と呼んでいる。この時に、刑罰を決めたり、囚人を解放したりする。」
在國衣尚白白布大袍袴履革踏出國則尚繒繡錦罽大人加狐狸狖白黒貂之裘以金銀飾帽
「国にいる時の衣は白を重んじる。白布の大きな上着や袴で、革靴をはく。国を出ると、絹、刺繍、錦、毛織物を重んじる。身分の高いものは狐や狸(リ、猫類。タヌキではない)、黒猿、白黒のテンの皮衣を加え、金銀で帽子を飾る。」
譯人傳辭皆跪手據地竊語
「通訳が言葉を伝える時は、みな、ひざまずき、地面に手をつけて、ひっそり語る。」
用刑嚴急殺人者死没其家人為奴婢竊盗一責十二男女淫婦人妬皆殺之尤憎妬已殺尸之國南山上至腐爛女家欲得輸牛馬乃與之兄死妻嫂與匈奴同俗
「刑の適用は非常に厳しい。殺人者は死刑になり、その家の者は身分を奪われ奴隷にされる。一を盗めば十二の責めを負う。男女の姦淫や婦人の嫉妬は、みな、これを殺す。最も嫉妬を憎む。殺した後、屍は国の南山の上に運んで腐爛させる。女の家族が遺骸を欲しがるとき、(それにみあう)牛馬が提供されてから、これを与える。兄が死ぬと、兄嫁を妻にするのは匈奴と同じ風俗である。」
善養牲出名馬赤玉貂狖美珠珠大者如酸棗
「お供えに使う家畜(白か?)をだいじに養う。名馬や赤玉、貂、黒猿、美珠を産する。珠の大きなものは酸棗くらいある。」
以弓矢刀矛為兵家家自有鎧仗國之耆老自說古之亡人作城柵皆員有似牢獄
「弓矢、刀、矛を兵器にする。家々は自らのヨロイや棍棒を持つ。国の古老は昔の亡命者だという。城柵はみな丸く作り、(中国の)牢獄に似ている。」
行道晝夜無老幼皆歌通日聲不絶
「道を行く時は、昼夜、老幼なく、みな歌う。一日中、声は絶えない。」
有軍事亦祭天殺牛觀蹄以占吉凶蹄解者為凶合者為吉有敵諸加自戦下戸倶擔糧飲食之
「軍事があれば、また、天を祭り、牛を殺して、ひづめを見て吉凶を占う。ひづめが開いていると凶となし、引っ付き合わさっていると吉となす。敵があれば、諸豪族は自ら戦う。下戸は伴をして食料をかつぎ、これを飲食する。」
其死夏月皆用氷殺人徇葬多者百数厚葬有槨無棺
「死んだ時、夏はみな氷を用いる。人を殺して徇葬するが、多いものは百の数である。手厚く葬り、槨はあるが棺はない。」
夫餘本屬玄菟漢末公孫度雄張海東威服外夷夫餘王尉仇台更屬遼東時句麗鮮卑彊度以夫餘在二虜之間妻以宗女
「夫余はもと玄菟郡に属していた。(後)漢末に(遼東太守)公孫度が海東に勢力が強くなり、外夷を威圧し服属させた。夫餘王の尉仇台はあらためて遼東郡に属した。その頃、高句麗と鮮卑が強く、夫余はこの二つの敵対国の間にあったため、公孫度は一族の娘を妻に出して懐柔した。」
尉仇台死簡位居立無適子有孽子麻余位居死諸加共立麻余牛加兄子名位居為大使輕財善施國人附之歳歳遣使詣京都貢獻
「尉仇台が死に簡位居が立った。嫡子がなく、庶子の麻余があり、位居が死ぬと、豪族たちは麻余を共立した。牛加である兄(名前)の子、名は位居が大使となった。蓄財を軽んじて、善く施したので、国の人々は支持していた。年々遣使して洛陽に参上し、貢ぎものを奉った。」
正始中幽州刺史毋丘儉討句麗遣玄菟太守王頎詣夫餘位居遣大加郊迎供軍糧季父牛加有二心位居殺季父父子籍没財物遣使簿斂送官
「正始中(240~249)、幽州刺史の毋丘倹は高句麗を討ち、玄菟太守の王頎を派遣して夫余へ行かせた。位居は大加を都の外へ派遣して迎え、軍糧を提供した。位居の末の叔父の牛加には叛く心が有ったので、位居は叔父とその子を殺した。財産を没収して記録し、遣使して、没収物と帳簿は官に送った」
舊夫餘俗水旱不調五穀不熟輙歸咎於王或言當易或言當殺麻余死其子依慮年六歳立以為王
「昔の夫余の習俗では、水害、干害の不調で五穀が実らないときは、王に罪をかぶせ、代えるべきだと言ったり、殺すべきだと言ったりした。麻余が死に、その子の依慮、年六歳、が立って王になった。」
漢時夫餘王葬用玉匣常豫以付玄菟郡王死則迎取以葬公孫淵伏誅玄菟庫猶有玉匣一具今夫餘庫有玉璧珪瓉數代之物傳丗以為寶耆老言先代之所賜也其印文言濊王之印國有故城名濊城蓋本濊貊之地而夫餘王其中自謂亡人抑有似也
「漢の時、夫余王は葬儀に玉の棺桶を用いた。あらかじめ玄菟郡に預けていて、王が死んだとき、取りに行って葬った。公孫淵が滅ぼされたとき、玄菟郡の倉庫にはなお玉の箱が一揃いあった。今、夫余の倉庫には玉璧や玉製品、数代の物が有り、代々伝えて宝としている。古老は先代の王が賜った物だと言っている。その印の文言は濊王之印と言う。国(中国)には濊城と呼ばれる古い城がある。思うに、元は濊貊の土地で夫余王はその中にいたのだろう。自ら亡命者というのはそもそも理由があるのだ。(「抑有以也」だという説に従います。)」




































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